大和路 (1976)
鈴木竹柏 (1918-2020)

この作品は、オーストラリア国立美術館が所蔵する日本画コレクションの一部である。このコレクションは、国際派の先駆者である松岡朝(1893-1980)の不朽の遺産である。松岡はニューヨークのメトロポリタン美術館に於いて日本美術コレクションで働く傍ら、日本人女性として初めてアメリカで博士号を取得した。コロンビア大学での学位論文のタイトルは「日本における労働婦女子の保護法について」である。第二次世界大戦の際、中国で「南京児童学園」と孤児のための炊き出しをおこなう「松岡施粥廠」を開設。戦後は日本ユニセフ協会を設立し、初代専務理事に就任。73歳で引退するまで、恵まれない子どもたちに食事や教育を提供する活動に尽力した。その後文化事業の大使としての活動を続け、2年後には海外と文化を交流する会(ICAIS)を設立した。

松岡朝が 「オーストラリア国民との親善のシンボルとして、日本文化の真髄である最高の日本美術作品を贈りたい」と考えたのは1972年のことだった。日本の文化勲章や文化功労章などの受章者である当時の日本画の巨匠25人に、それぞれ新作を描いてもらい、オーストラリアの人々に寄贈してもらうまでには、5年の努力と莫大な資金が必要だった。松岡朝が84歳を迎えた1977年、ビクトリア美術館(メルボルン)で25点の日本画展が開催された。松岡朝のコミットメントは、オーストラリアの一般の人々にこれらの日本画を鑑賞する機会を提供し、日豪間の文化理解を深めることであった。

寄贈画25点の本質的な価値について

日本の絵画の歴史は古くAC700年頃 飛鳥・奈良時代からの作品が現存する。現在の日本画の技法の確立は、AC1100頃平安時代に描かれた源氏物語絵巻(12世紀)と理解されており、現在に至っている。およそ1000年を、伝統を重んじて絵画(美術)の技法は伝承され、特に重要な技術技法は秘伝として 師から弟子へと直伝され、また独特の道具も製作された。

明治以降の近代・現代絵画も、同様な伝承を形を変えて守って おり、日本特有の団体公募絵画展覧会組織は、ヨーロッパなどにみられた絵画工房集団 (例、レオナルド ・ダ・ヴィンチが学んだアンドレーア・デル・ヴェルロッキォの工房)アンドレーア工房と同様に日本では江戸時代にみられた絵画工房集団 狩野派、岸派、円山派などが系図的につながって生まれて来た。明治期に美術学校が創設された時、そこで指導を担ったのが絵画団体の中心メンバーであった。特に明治以降 日本の伝統技法を用いて描かれた絵画を総称して[日本画] と呼ぶようになり、「江戸時代から工房で伝えられてきた」技術技法が教育の場で指導という形で伝承される事になった。

オーストラリア国に寄贈された日本画25点の作者の方々の多くは、その教育の現場に立って後進の指導にあたられ、私もその中のお二人、塩出英雄教授、麻田鷹司教授に指導を受けた。またこの25名は、明治・大正・昭和にかけて活躍された方々で、その作品は日本の多くの美術館に収蔵されており、日本を代表する作家である。従って、これらの日本画は、日本にとって大変貴重な作品群である。以上ここにオーストラリアに礼を持って絵を寄贈された敬愛する松岡朝女史の強い思いで選ばれた25作品と25名の作者の紹介をいたした次第である。

元多摩美術大学 日本画教授
創画会会員
北條正庸